【蔵内“県政”を暴く(4)】蔵内氏と対峙した麻生・小川両元知事と、言いなりの服部知事の違い

 福岡県議会の海外視察やワンヘルス事業をめぐる問題が全国的な注目を集めているが、現在の福岡県政を実質的に仕切っているのは「県政のドン」と評される蔵内勇夫議長であることは間違いない。一方、本来、県政を担うはずの服部知事のリーダーシップがまるで見えてこない。いつから福岡県知事の存在はこのようなものになってしまったのか? 麻生・小川両元知事と、服部氏を比較して考察してみたい。

蔵内県議の当選報告会で挨拶を行う服部知事(23年4月の県議選)
蔵内県議の当選報告会で挨拶を行う服部知事(23年4月の県議選)

議会質問でも蔵内氏への賞賛

 福岡県議会の異常な状況が全国に知られるようになったが、今回の問題解決に向けて真剣に取り組むべき服部誠太郎・福岡県知事の姿勢には、是正に向けた強い意思がまったく見えないと感じている県民は多いだろう。

 一方、「県政のドン」といわれる蔵内氏については、人獣共通感染症への対応を行うワンヘルス事業に力を入れ、自民とは政策が異なる公明党や国政では対立する野党の声も取り入れて議会運営を行い、「近年では珍しい懐が深い政治家」(議会関係者)などとそれなりに評判も高く、地盤の筑後市をはじめとした県南地域の振興に寄与したことも事実だ。しかし、自民党をはじめとする県政与党会派の県議らが、「蔵内先生のおかげで」と枕詞のように述べる状況には、違和感を覚えていたことも事実だ。

 25日に閉会した6月議会でも変わらぬ状況にあった。11日の蔵内氏の記者会見の翌日、代表質問を行った佐藤楓県議(自民党県議団)は「蔵内勇夫議長が日本人で初めて世界獣医師会会長に就任されました。ご就任誠におめでとうございます」と祝意を述べてから、質問に入ったのである。国会でも安倍晋三首相(当時)の発言に拍手を行う自民党議員は多かったが、福岡県議会もまるで金正恩に忠誠を誓う北朝鮮のようである。

 前回、吉松源昭県議のインタビュー記事を掲載した。吉松氏は、かつて自民党県議団に所属し県議会議長も務めた経験があるが、麻生・小川両元知事については是々非々を貫いたことを紹介した一方で、「服部知事からは、強力なリーダーシップが感じられません。やっぱり知事がしっかりしなくちゃいけない、県民もしっかりした知事を選ぶ必要があると思うのです」と訴えた。たしかに服部知事は就任時から、県議会に配慮するような発言が目立っていた。

麻生知事は経済振興に尽力

 吉松氏が指摘したように麻生渡・小川洋両元知事は、蔵内氏ら自民党県議団の要求に是々非々で対応していた。

 麻生県政は、1995年の知事選において社会党・共産党推薦であった奥田八二氏が、4期目の不出馬を表明したことや、支持母体である社会党・共産党が同和行政の進め方をめぐり、共闘が崩れたことで、誕生した経緯があった。自治労出身の民主系会派の重鎮は、以前、取材に対し「知事選での対立は、組合員もへとへとになった」と当時を振り返りつつ「県政は保守・革新がいがみあわず協力体制で行くということで、麻生知事が誕生した」と語っていた。

 蔵内氏の県議初当選は87年で、奥田県政の2期目である。奥田知事の支持母体は、自治労や日教組など旧社会党系と共産党であったが、自民党が主流派の県議会とは対立を繰り返していた。

 87年は国内では国鉄分割民営化やバブル景気が始まり、海外では盧泰愚韓国大統領による民主化宣言が行われるなど、国内外の情勢が大きく変動した年だ。福岡県においても対立より協調が模索されるようになった。奥田県政が3期で終わったのも、冷戦の終結によるイデオロギーの時代から国際協調や環境・人権が重視されるようになったことによるものだ。元特許庁長官の麻生氏は通産官僚として、経済振興や民間活力の業務に従事し、外務省に出向し駐英大使館に勤務したこともある。

 麻生氏が知事に就任した95年も激動の年で、阪神・淡路大震災や地下鉄サリン事件など未曽有の事件が続発した。そうしたなか、県政の安定は経済振興にあるとの考えから、トヨタ自動車九州の誘致など福岡県を自動車生産の拠点にしたのは麻生氏の手腕が大きい。

 麻生氏は2005年に全国知事会会長に就任し、2000年代前半までは、議会との関係も良好であったが、07年に民主党・社民党推薦で稲富修二氏が立候補した前後から、長期政権批判が起こるようになった。

 議会との関係は良好でありつつ、全国知事会長として中央集権に異論を呈するなど福岡県政にとどまらないリーダーシップを発揮していた。県議会で最大会派の自民党県議団に対しても、できることできないことは是非を明確に述べており、県議会側もごり押しはしていなかった。

小川知事と蔵内氏の対立は2期目から

 一方、蔵内氏の台頭は麻生氏の4期目(07~11年)前後からだといわれる。ポスト麻生をかけた11年の県知事選で蔵内氏は出馬の意欲を示しており、自民党県連は県議団会長・蔵内氏を候補者として内定していた。しかし、連合福岡や麻生太郎氏らの反対もあり、麻生渡氏の後輩でもある小川洋氏が知事に就任した。

 小川知事も麻生知事同様、県議会とは是々非々の関係にあったが、次第に自民党県議団との関係が悪化していった。ある元県議は「小川さんは実直だが、蔵内氏らの言いなりにならないから嫌がらせを受けた」と語っていた。3期目となる19年の知事選において、2期までと同様の与野党統一候補としての立候補を望んだが、宿泊税をめぐる福岡市との対立などもあって自民党は元厚労官僚の武内和久氏を擁立した。この背景に蔵内氏らの意向があったといわれる。

 地方自治体は二元代表制であり、知事(首長)と議会は対等な関係にある。しかし、福岡県議会は、他県と比較しても議会側の影響力が強いといわれている。前述の元県議は「自民党県議団の意向をきかないと議会の議事進行がとまったりした」と証言したが、いうまでもなく県議団の中心は蔵内氏である。

 小川氏は20年12月に肺炎のような症状を訴えて九大病院に検査入院し、いったんは公務復帰したが再度入院したため、当時副知事であった服部誠太郎氏を職務代理者に指定した。ここから服部知事誕生に至ったが、21年3月に小川氏は知事を辞職したため、同年4月の知事選において服部氏が知事に当選した。

 蔵内氏の至上命令であるワンヘルスは、20年12月に推進基本条例が制定され、22年9月議会で実践促進条例が制定されたが、服部知事は1期目から条例を根拠に具体化を推進していった。

 服部知事が初当選した21年度のワンヘルス関連事業の当初予算は約1億円だった。その後は野生鳥獣の被害防止対策(年間約8億円)も組み込み、22年度約11億円、23年度約15億円、24年度約18億円と増え、25年度の暫定予算は約57億円まで膨らんだ。

 これだけの予算が使われているにもかかわらず、県民のワンヘルスに対する認知度は現在も高くない。

 6月議会で服部知事は「県民の皆さまにワンヘルスが最終的に目指すところは人々の命と健康を守ることであるという目的をわかりにくくさせてしまい、さらにはワンヘルスといえば何でも予算が付くなどという誤解まで生じさせることになり、深く反省いたしております」と答弁を行ったが、蔵内氏の意向がなければ、ワンヘルスの名称を付けて事業が行われることはなかったはずで、その根本に踏み込むことなく問題の是正は進まないだろう。

 県の予算が湯水のごとくワンヘルス事業や、海外視察費に使われたにもかかわらず、県知事として深く反省しているように見えない。服部氏は行政官としては能吏であったと思うが、議会との対峙を避けるばかりで主体性がまるで見えない点では、自立した政治家ではないといわざるを得ない。

 中央官僚出身ではない生え抜きの知事として期待された服部知事であるが、蔵内氏の傀儡と呼ばれても否定できないだろう。

【近藤将勝】

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