2024年7月29日 16:30
ジョージ君の英語力は自他ともに認める拙さである。それでも、アメリカにきた当初から、会話はできなくとも、意志の疎通はなんとなくできたように思える。
2024年7月26日 17:20
東京でのサラリーマン時代の話に遡る。三井生命と明治生命との合同プロジェクトを営業センス抜群で慶応大卒の伊藤主任、28歳が手がけていた。
2024年7月25日 16:30
デルタ大学に入学してから、ジョージ君の勉強生活が始まった。大学受験以来であった。しかもすべての教科は英語である。苦手な物理や化学まであった。一番難しいのは文学と歴史だった。
2024年7月24日 17:00
アメリカに渡って最初に通った英語学校の寮の食事に、ジョージ君は不満はなかった。ストックトンに移った後のアパートでの1カ月は、野菜炒めしか食べていなかったような気がする。
2024年7月23日 17:30
ジョージ君はアダルト・スクールの学生から、やっと正式に、憧れのアメリカの大学生になった。
2024年7月22日 17:20
アメリカにはさまざまな大学がある。スタンフォード大学やハーバード大学のような私学。カリフォルニア大学やオレゴン大学など、州の名前はつくが、州立と言わない、どちらかといえば連邦政府が設立した大学。
2024年7月19日 17:10
夏休みのある日、ジョージ君たちはシェラネバダ山脈にキャンプに行った。もちろん、寝るのは寝袋であり、テントもない。夜露が落ちれば、そのまま顔を濡らす。
2024年7月18日 17:00
ホームステイ先の夫妻が2カ月のカナダ旅行から帰ってきた。その間、近所では良からぬ噂が立っていたらしい。
2024年7月17日 16:30
渡米3カ月、中古車に大金をはたいたジョージ君は、ホームステイをして当面の生活には困らなくなったが、将来の授業料を稼ぐために働かざるを得なかった。
2024年7月16日 17:30
シドニーと出会ったその夜、ジョージ君は辞書を片手に、生まれて初めて英文の手紙を書いた。ジョージ君から電話はしなかったが、シドニーからは一度電話があった。
2024年7月12日 15:50
アメリカに住もうと、ホームステイをしようと、やはり英語をネイティブとする女性と結婚するか彼女にするのが、英会話をマスターする一番の近道だと思う。
2024年7月11日 17:00
マンチェスター・アパートメントにいたころ、ジョージ君は自転車通学をしていた。しかし、ホームステイ先から、午前はアダルト・スクールに通い、午後にデルタ大学に聴講しにいくには、遠すぎた。
2024年7月10日 17:20
アメリカにきたら、日本人と付き合ってはいけないという人がいる。ジョージ君の経験からいえば、そうではない。留学生にとって必要な情報は、アメリカ人学生からは手に入らないものである。
2024年7月9日 17:00
ジョージ君がストックトンに行く前夜、アラブ人と戦った戦友のキムが訪ねてきた。彼女を連れていた。ヒスパニック系白人の超美人だった。銀行家の娘で、親は超大金持ちのようだ。
2024年7月8日 16:40
やはり、不得意な英語は難しい。上達もしない。チンプンカンプンだった。教室の真ん中の一番前に座って、毎日、毎日、まばたきもしないで女の先生をじっと見ていた。
2024年7月5日 16:30
ドアの外には、がっちりした韓国の若者が立っていた。背丈は176㎝ぐらいか?3月だというのに、半そで姿で、両腕は筋肉で盛り上がっていた。
2024年7月4日 17:00
安い切符のせいかフライトは深夜便、しかもロス経由のサンフランシスコ行きだった。機内では深夜12時を過ぎても眠れない
2024年7月2日 15:30
渡米の精神的な疲れで、飛行機ではぐっすりと眠れた。目が覚めるとダイヤモンド・ヘッドが見え、ワイキキ・ビーチが眼に入ってきた。ハワイに到着したのだ。