2024年8月30日 17:30
ある朝、雨が降っていた。ジョージは空を見上げて、思わず一言つぶやいた「雨か、学校には行きたくないな」...
2024年8月29日 17:15
日本人学生にとって、アメリカでビジネスの勉強をするには、いい時代であった。第二次オイルショックから復活した日本経済は、再び欧米より高い経済成長をはじめ、アメリカでも注目を集めていた。
2024年8月27日 16:30
ジョージ君がなぜ、不得意な英語を勉強しようと思ったのか?それは今まで、何度もこのストーリーに書いている。
2024年8月26日 17:30
ジョージ君がキャサリンの信頼を得るにつれ、キャサリンの娘マービンとの関係が怪しくなってきた。
2024年8月23日 16:00
キャサリンの家の庭師はバスク人だった。バスクとは、フランスとスペインの両国にまたがり、ピレネー山脈の両麓にある地名で、今はスペインの「バスク自治州」となっている。
2024年8月22日 17:00
ある晩、ドアを激しくノックする音が聞こえた。同時に大声で「ジョージ、ジョージ!」と叫ぶ声が聞こえた。キャサリンだ。出張から勇んで帰ってきたようだ。
2024年8月21日 17:20
ジョージ君はアメリカでも有数の高級住宅街から、ヘイワードにあるカリフォルニア州立大学イーストベイ校に通うことになった。
2024年8月20日 16:55
あれほどホームステイは2度としないと誓っていたジョージ君だったが、とくに決まった仕事もなく、ガードマンとして住むだけで、現金500ドルをもらえるという魅力には勝てなかった。
2024年8月19日 17:00
同棲を決めたジョージ君と七尾美はアパート探しを始めた。日本のアパートとは違い、アメリカでは敷金も礼金もない。最初のひと月と最後のひと月の家賃さえ支払えば、入居することができた。
2024年8月16日 17:40
デルタ大学を卒業したジョージ君は、カリフォルニアの州立大学のなかで最も古い、サンノゼ州立大学(1857年創立)に願書を出した。
2024年8月9日 17:15
夢のように楽しかったストックトンでの生活に別れを告げる日がきた。いよいよ、デルタ大学卒業だ。ジョージ君の20数年間の人生のなかで、一番燃焼した時間だった。
2024年8月8日 16:30
ジョージ君がホームステイを決めたとき、卒業までの2年間は世話になろうと思っていた。生活のためと、アメリカ人と英語で暮らす時間をできるだけ多くするためであった。
2024年8月7日 17:00
いろいろな日本人留学生がいた。ジョージ君や梅尾さんのように、大学を出ても会社や社会に適応できず、留学という夢が忘れられなかった人たち。
2024年8月6日 17:00
ジョージ君が自分が本当に求めている異性は日本女性なのだと自覚したころ、思いがけないお誘いがあった。
2024年8月5日 17:30
第15話でも書いたが、ホスト・マザーのベティーの親、大富豪アートン氏のワイフは、イタリアからきた嫁だった。風采の上がらない彼女は、イタリアからきた女中のようだった。
2024年8月2日 16:30
アメリカにきたら、絶対に日本人女性とは付き合わない。できれば、日本人学生とも群れない。ジョージ君は最初、そんなことを考えていた。
2024年8月1日 17:00
ジョージ君がアメリカにきてから、1年半近くの歳月が流れていた。中学生のころから10年以上、英語を勉強する機会があったにもかかわらず、英語ができなかった人間は、結局アメリカにきてもそう大きくは変わらなかった。
2024年7月31日 17:30
ジョージ君にはドイツ人に対する先入観があった。金髪、ブルーアイ、男子なら身長180cm以上。それがヒトラーが理想としたゲルマン民族だ、という文章を小学6年生のときに読んだ。
2024年7月30日 17:00
ジョージ君は日本食が食べたくて、中華のレストラン・サンパンのバス・ボーイをやめ日本食のYONEDAレストランでバス・ボーイを始めた。