2021年11月18日 16:14
高田瞽女(ごぜ)は、江戸中期頃から新潟県高田地区(現・上越市)に住む盲女の芸人集団の総称である。親方・杉本キクエは明治31年生まれ...
2021年11月17日 17:46
今回50年ぶりに高田を訪ねた。来年上梓する拙著、『瞽女の世界を旅する 昭和の原風景と村人の情けを求めて』(仮題・平凡社新書)の取材のためである...
2021年10月13日 06:00
年齢に関係なく筋肉を鍛えることで体力は向上し、筋肉量は増えるといわれている。私が参加者に鍛え上げた(?)二の腕の筋肉を見せ、ダイエットに成功したと伝えた。つまり結果を出したのだ...
2021年10月12日 10:13
運営する「サロン幸福亭ぐるり」に「マッスル倶楽部」という少々場違いな同好会を立ちあげた。「ぐるり」は高齢者が集う居場所である。いいにくいが「一丁上がり」に近い人も来る...
2021年9月16日 16:15
利他はときとして数値化されることがある。ところが、すべてを数値化し簡素化することで企業が利益を追求していくと、実に奇妙な現象をもたらすと伊藤氏は『利他とは何か』で言及している...
2021年9月15日 15:44
利他を実行に移すとき、受ける側の尊厳をも無視しては感謝されないのは当然だろう。「感謝される」ことを期待しての利他はたしかに利他とはいわない...
2021年8月18日 15:00
伊藤亜沙さんは、「利他的な行動には、本質的に『これをしてあげたら相手にとって利になるだろう』という、『私の思い』が含まれています」といい、それは「私の思い」でしかないこと...
2021年7月18日 06:00
瞽女の旅は、季節ごとに訪ねる村が決められていた。信州の旅は必ず夏に行われるという具合である。涼を求める旅という意味もあった...
2021年7月17日 06:00
来年、『高田瞽女(ごぜ)が見た昭和の原風景と人の情け』(仮題・平凡社新書)を上梓する。目の見えない女だけの遊芸人(ゆうげいにん)、瞽女。彼女らもまた生きるために旅をした...
2021年6月19日 06:00
明治期以前の旅は馬や駕籠を利用するという方法もあったが、自分の足で歩くことが基本だった。旅とは、「住む土地を離れて、一時ほかの土地に行くこと。旅行。古くは必ずしも遠い土地に行くことに限らず...
2021年6月18日 06:00
コロナ禍で「利他(りた)」について考えてみた。運営する「サロン幸福亭ぐるり」も地域の高齢者のための居場所である。一定程度の公的な援助や入亭料はあるものの、不足分は自分で負担している...
2021年5月19日 06:00
こういうことがあった。身内が見つかり、岩田氏が家族に電話をしたところ、家族は頑として遺骨の引き取りを拒否。岩田氏が「引き取り拒否なら、遺骨がどうなろうとよろしいんですか」と尋ねると...
2021年5月18日 14:31
それでも、父親の死に気づかなかったのだろうか、という疑問は残る。作家の重松清氏は、「1つ屋根の下だけど、2つの生活があって、なかなか交じり合わない。あえて介入しない。お互いに自由に過ごす。ところがこういう不幸が起きると...
2021年5月17日 16:38
コロナ禍で孤独死が増えているという。主催する「サロン幸福亭ぐるり」のあるUR((独)都市再生機構)でも、男性の孤独死が起きた。おそらく60代だと推測する...
2021年4月20日 13:00
「させていただく」については、「相手側、または第三者に許可を受けて行う場合―そのことで恩恵を受けるという事実や気持ちのある場合、この2つの条件がある場合だけ、『させていただく』が適切だ」と規定されている...
2021年4月19日 17:52
「やらさせていただきます」。4月5日の国会で、菅総理の答弁中に使われた言葉だ(聞き間違えだといいのだが)。最近、やたら意味不明の敬語を乱発するのを見聞きする機会が多い...
2021年3月17日 07:00
日常に目を戻す。私が住む地区で毎年行われる防災訓練はこうだ。住民の集合場所は主に学校のグランドが指定される。この地区は一番近い小学校のグランドではなく、その小学校を横目で見ながら、隣の高校のグランドへ向かわなくてはならない...
2021年3月16日 10:42
東日本大震災が起きてから10年を迎えた。震源地から遠く離れたわたしの街でも激震が襲った。外出するためガスストーブを消した直後のことだった。激しい横揺れでスチール製の本棚が崩れて、消したばかりのストーブに多数の本が落下した...
2021年2月17日 13:00
介護を勉強するために専門学校に通っていた妻(当時65歳)が、訪問介護の実習でとあるお宅を訪問したときのこと。80過ぎの独り住まいの男性。要介護4。頼まれて昼食を作ることになり、得意の味噌汁をつくった。それを口にした彼は「あーあうまい、妻が作ってくれた味だ」と喜び、「毎日来て、食事を作ってくれ」と懇願されたという...