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2025年2月12日 15:20
福岡、九州、日本市場の限界がみえてきても、そう簡単に海外へ飛び出すことはできない。トコトン追い込まれないと動きを取れないのが現実だ。長年にわたって中小企業の海外進出を目撃してきた。
2025年2月3日 14:20
先月21日、東京・八芳園である人物から2時間ほど話をうかがう機会を得た。現れたのは、今年97歳になるドクター・中松。驚くべきことに、その精力と気概は若者顔負けである。
2025年1月20日 16:40
福岡金網工業(株)(福岡市博多区)の2代目社長(後に会長)である山本健重氏が17日に永眠された。享年80歳。脳梗塞を患い、この5年間は治療に専念されていた。故人との思い出が走馬灯のようによみがえってきた。
2025年1月7日 13:40
正月期間中、中国・雲南省昆明へ放浪の旅に出た。15年ぶりである。この5日間の散策・放浪で中国経済崩壊の本質を理解できた。
2025年1月1日 06:00
福岡を中心に広がる繁栄の兆しが、地域経済を大きく押し上げている。年収1,000万円層の増加、市税収拡大、不動産価値の上昇がその象徴だ。
2024年11月26日 14:00
リベラル派と目されるA記者が「SNSに扇動されて斎藤氏に投票した県民は愚かだ」という論調で、批判を展開する記事を当社に送ってきた。
2024年11月21日 16:30
兵庫県知事選に関して、当連載で関係者や読者からコメントをいただき紹介してきた。各人各様の意見が飛び出してきたことには新鮮味を覚える。
2024年11月12日 14:30
30周年祝賀会を迎え、50年(半世紀)にわたり一貫して情報発信業を続行できたのは、ひとえに「福岡・博多の歴史的風土」のおかげである。
2024年11月11日 15:30
今回は11月7日にホテルオークラ福岡で行われた当社の「30周年祝賀会」についてまとめてみる。祝賀会に500人の方に参加のお申し込みをいただき、480人の方々にご参集いただいた。
2024年11月7日 12:00
会社登記は1994年11月10日、資本金7,000万円でスタートした。「おや、1億円ではないの?」と疑問をもたれることでありましょう。それも当然のことだと思います。
2024年11月5日 14:00
事業を起こしたときの家主・舛田社長との思い出をつづろう!知り合ったのは1977年秋のこと。舛田氏と同じ熊本出身の日本ハウス・増村社長からの紹介であった。
2024年11月2日 06:00
1994年1月、東京経済の「新年会議」の席上で、越智オーナーが驚愕の「飛鳥1日貸し切りクルージング」宣言をした。幹部社員たちは当初、「新年の放談かな?」と関心を示さなかった。
2024年11月1日 12:00
池田氏の退社以降、業務はたしかに多忙になった。だが、社内の雰囲気が大きく様変わりし始めた。
2024年10月31日 11:20
1992(平成4)年まで、バブル倒産に追われて多忙な日々を送っていたが、45歳を迎えて「人生の将来像を描くこと」について考えるようになっていた。
2024年10月29日 15:30
N会という経営者の集まりが月1回行われており、都合がつけば必ず出席するようにしている。
2024年10月28日 11:30
1987(昭和62)年あたりから「九州倒産情報発表」記者会見担当になった。
2024年10月24日 11:30
我が故郷を想い懐かしむことが皆無の人間は、幸せにめぐり合うことはなく、不幸な運命をたどって人生を終える。
2024年10月23日 11:30
1947年生まれの筆者は自力で育ち、成長していったのではない。『団塊の世代』のトップバッターとして快走してきた。47年から49年生まれまでが『団塊の世代』と呼ばれてきた。