2024年12月22日( 日 )

コダマの核心

フォローする

気になるタグをフォローすると、後でまとめ読みができます。

30周年を迎え、また超えて(13)経済雑誌『九経エコノス』発刊へ
30周年を迎え、また超えて(13)経済雑誌『九経エコノス』発刊へ
 前回触れた上海ツアーについて詳しく書いていくと、きりがないので省略する。ただ1点まとめよう。上海港についてである。
30周年を迎え、また超えて
30周年を迎え、また超えて(12)国際化時代の到来
30周年を迎え、また超えて(12)国際化時代の到来
 さぁ、平成の時代に突入した。「新時代がきた!きた!」と騒ぐだけで「何が変わっていくのか?」とさっぱりわからないのが、凡人。
30周年を迎え、また超えて
30周年を迎え、また超えて(11)平成に突入「すべてが変わる」
30周年を迎え、また超えて(11)平成に突入「すべてが変わる」
 思えば福岡市が政令都市になった時(1972年4月)の人口が約90万人、現在では160万人超まで増加した。一方、福岡市の面積はというと、博多湾を埋め立てた分しか増えていない。
30周年を迎え、また超えて
30周年を迎え、また超えて(10)情報クレーム対応
30周年を迎え、また超えて(10)情報クレーム対応
 「情報マンの最高の醍醐味」は、情報の渦中で「ドラマの主人公」になれることである。
30周年を迎え、また超えて
30周年を迎え、また超えて(9)平成バブルの波動
30周年を迎え、また超えて(9)平成バブルの波動
 「(8)『考えられない倒産』が続出」で「超金融緩和のツケ」の結末についてレポートした。この間、町金融業者が倒産していった。
30周年を迎え、また超えて
30周年を迎え、また超えて(8)「考えられない倒産」が続出
30周年を迎え、また超えて(8)「考えられない倒産」が続出
 企業調査は依頼された案件を調査レポートとして仕上げれば終了する。仕入れ先、同業者を回り、徹底的に調査しても4社前後と接点ができるだけである。
30周年を迎え、また超えて
30周年を迎え、また超えて(7)情報部への転籍
30周年を迎え、また超えて(7)情報部への転籍
 1980年秋から情報部に配置替えとなった。この配置転換で今まで以上に業務に精通することができ、名前を売ることも可能となった。それについては、また後に譲るとする。
30周年を迎え、また超えて
30周年を迎え、また超えて(6)情報基盤のレベルアップ
30周年を迎え、また超えて(6)情報基盤のレベルアップ
 企業情報を取材する仕事は、企業の倒産を目撃することが宿命づけられた因果な職業である。
30周年を迎え、また超えて
30周年を迎え、また超えて(5)「情報屋の幻想」を活かす
30周年を迎え、また超えて(5)「情報屋の幻想」を活かす
 1975年の2月に入社して4年が経ったところで、調査課長、調査副部長と肩書が上がっていった。
30周年を迎え、また超えて
悔しい忍田氏の死~三菱電機住環境システムズに寿命を縮められた
悔しい忍田氏の死~三菱電機住環境システムズに寿命を縮められた
 カンサイのグループ統括者・忍田勉氏が逝去された。しかし、「寿命を縮められ、抹殺」された最大の責任は三菱電機住環境システムズにある。
株式会社カンサイホールディングス
30周年を迎え、また超えて(4)基本づくりの時期
30周年を迎え、また超えて(4)基本づくりの時期
 会社を起こして30周年。事業を起こす前には鍛錬の時期が必要である。
30周年を迎え、また超えて
30周年を迎え、また超えて(3)原点~新時代の「波動組」
30周年を迎え、また超えて(3)原点~新時代の「波動組」
団塊の世代、3年連続で260万人超出生筆者は1947年生まれ。この年から3年間(49年まで)、出生者数が260万人を超え…
30周年を迎え、また超えて
30周年を迎え、また超えて(2)APAMAN大村氏とわらび座
30周年を迎え、また超えて(2)APAMAN大村氏とわらび座
 わらび座の存在を知ったのは2012年頃だっただろうか。
2975号 30周年を迎え、また超えて
30周年を迎え、また超えて(1)中島淳一画伯に魅せられて
30周年を迎え、また超えて(1)中島淳一画伯に魅せられて
 2024年11月10日、データ・マックスは法人として30周年を迎える。この30周年、いや企業調査マン時代からを含む50年を振り返って「総括」するとともに「未来」を展望したい。
2975号 30周年を迎え、また超えて
お盆行事に接して 今後は家族と地域社会の崩壊が避けられず
お盆行事に接して 今後は家族と地域社会の崩壊が避けられず
 拙宅の前で恒例の水遊びが繰り広げられた。Aさんには2人の娘がおり、東京で嫁ぎ、盆には必ず里帰りをしてきた。
飯田建設社長に返り咲きの宮木氏、「社長からの御恩を結実させる」と宣誓
飯田建設社長に返り咲きの宮木氏、「社長からの御恩を結実させる」と宣誓
 飯田建設(株)の歴史を遡ると個人創業したのが1954年で、通算70年の業歴である。同社が一目を置かれたのは地元の業者としては国からの受注が際立って多かったためだ。
飯田建設株式会社 企業・経済 建設・不動産
今こそ国際人材の布石を! 5/22に人材活用セミナーを開催
今こそ国際人材の布石を! 5/22に人材活用セミナーを開催
 30年以上付き合ってきたゼネコン経営者が「笑われるかもしれませんが、次の世代にバトンタッチするまでには東南アジアで受注できる基盤を築きたいと思っています」とポツリと本音を漏らした。
株式会社ねこ セミナー情報 福岡 福岡市域
てら岡会長・寺岡直彦氏「生涯現役宣言」
てら岡会長・寺岡直彦氏「生涯現役宣言」
 (株)てら岡の「新会長・社長就任記念パーティー」が3月29日(金)午前11時より、ホテルオークラ福岡にて華やかに開催され、約280人が参加した。
株式会社てら岡 2925号
経済小説『落日』の面白い読み方
経済小説『落日』の面白い読み方
 ディスカウトカウントストア大手トライアルホールデイングス(福岡市東区)が21日、東京証券取引所グロース市場に上場した。初値は公開価格の1,700円を30%上回る2,215円をつけた。
市民の皆さん! もう政治家達には任せられない 能も使命感も無い、金・ポストにのみ執着(2)
市民の皆さん! もう政治家達には任せられない 能も使命感も無い、金・ポストにのみ執着(2)
 1972年佐藤栄作長期政権が終わりを迎えて自民党総裁選挙が行われた。当時の佐藤首相が福田赳夫氏を支持しており同陣営の優位が囁かれていた。