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2024年10月18日 13:00
直近の記事では主に1992年頃までの出来事を述べてきが、今回の記事では2024年現在まで飛んでいくということを了解していただきたい。
2024年10月17日 11:30
1999年5月、上海豪華客船ツアーで上海に行く決意をしたのは「21世紀は中国発展の時代」という時代認識をしていたからである。
2024年10月16日 10:30
1990~91年の福岡においては、東亜住建(福岡市博多区)、西部観光(博多区)など200億円から300億円の負債による倒産が珍しくなかった。
2024年10月15日 11:30
シリーズ(13)で記述した通り、セールス能力が劣っていた社員が『九経エコノス』広告4P分(100万円)を取れた時代であった。
2024年10月10日 16:50
『九経エコノス』を発刊して以降、広範囲な取材で見通しを立てる経済記事を執筆する機会を得るようになった。それによって刺激を受け、大いに燃えた。
2024年10月9日 15:00
前回触れた上海ツアーについて詳しく書いていくと、きりがないので省略する。ただ1点まとめよう。上海港についてである。
2024年10月8日 15:30
さぁ、平成の時代に突入した。「新時代がきた!きた!」と騒ぐだけで「何が変わっていくのか?」とさっぱりわからないのが、凡人。
2024年10月7日 16:00
思えば福岡市が政令都市になった時(1972年4月)の人口が約90万人、現在では160万人超まで増加した。一方、福岡市の面積はというと、博多湾を埋め立てた分しか増えていない。
2024年10月3日 10:30
「(8)『考えられない倒産』が続出」で「超金融緩和のツケ」の結末についてレポートした。この間、町金融業者が倒産していった。
2024年10月2日 09:00
企業調査は依頼された案件を調査レポートとして仕上げれば終了する。仕入れ先、同業者を回り、徹底的に調査しても4社前後と接点ができるだけである。
2024年10月1日 14:30
1980年秋から情報部に配置替えとなった。この配置転換で今まで以上に業務に精通することができ、名前を売ることも可能となった。それについては、また後に譲るとする。
2024年9月30日 16:00
企業情報を取材する仕事は、企業の倒産を目撃することが宿命づけられた因果な職業である。
2024年9月28日 06:00
1975年の2月に入社して4年が経ったところで、調査課長、調査副部長と肩書が上がっていった。
2024年9月27日 15:40
カンサイのグループ統括者・忍田勉氏が逝去された。しかし、「寿命を縮められ、抹殺」された最大の責任は三菱電機住環境システムズにある。
2024年9月26日 10:00
団塊の世代、3年連続で260万人超出生筆者は1947年生まれ。この年から3年間(49年まで)、出生者数が260万人を超え…
2024年9月20日 15:00
2024年11月10日、データ・マックスは法人として30周年を迎える。この30周年、いや企業調査マン時代からを含む50年を振り返って「総括」するとともに「未来」を展望したい。