2024年12月23日( 月 )

30周年を迎え、また超えて

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30周年を迎えまた超えて(30)30周年祝賀会「おかげさまで」(2)
30周年を迎えまた超えて(30)30周年祝賀会「おかげさまで」(2)
 30周年祝賀会を迎え、50年(半世紀)にわたり一貫して情報発信業を続行できたのは、ひとえに「福岡・博多の歴史的風土」のおかげである。
コダマの核心
30周年を迎え、また超えて(29)30周年祝賀会「おかげさまで」(1)
30周年を迎え、また超えて(29)30周年祝賀会「おかげさまで」(1)
 今回は11月7日にホテルオークラ福岡で行われた当社の「30周年祝賀会」についてまとめてみる。祝賀会に500人の方に参加のお申し込みをいただき、480人の方々にご参集いただいた。
コダマの核心
30周年を迎え、また超えて(28)ついに立つ(5)
30周年を迎え、また超えて(28)ついに立つ(5)
 会社登記は1994年11月10日、資本金7,000万円でスタートした。「おや、1億円ではないの?」と疑問をもたれることでありましょう。それも当然のことだと思います。
コダマの核心
30周年を迎え、また超えて(27)ついに立つ(4)
30周年を迎え、また超えて(27)ついに立つ(4)
 まず、どのような規模でスタートするかについて構想を練った。
コダマの核心
30周年を迎え、また超えて(26)ついに立つ(3)94年8月末で退社
30周年を迎え、また超えて(26)ついに立つ(3)94年8月末で退社
 事業を起こしたときの家主・舛田社長との思い出をつづろう!知り合ったのは1977年秋のこと。舛田氏と同じ熊本出身の日本ハウス・増村社長からの紹介であった。
コダマの核心
30周年を迎え、また超えて(25)ついに立つ(2)
30周年を迎え、また超えて(25)ついに立つ(2)
 1994年1月、東京経済の「新年会議」の席上で、越智オーナーが驚愕の「飛鳥1日貸し切りクルージング」宣言をした。幹部社員たちは当初、「新年の放談かな?」と関心を示さなかった。
コダマの核心
30周年を迎え、また超えて(24)ついに立つ(1)経営永続化の要諦
30周年を迎え、また超えて(24)ついに立つ(1)経営永続化の要諦
 池田氏の退社以降、業務はたしかに多忙になった。だが、社内の雰囲気が大きく様変わりし始めた。
コダマの核心
30周年を迎え、また超えて(23)事業起こしのきっかけ(3)社内ライバルらの事業立ち上げ
30周年を迎え、また超えて(23)事業起こしのきっかけ(3)社内ライバルらの事業立ち上げ
 1992(平成4)年まで、バブル倒産に追われて多忙な日々を送っていたが、45歳を迎えて「人生の将来像を描くこと」について考えるようになっていた。
コダマの核心
30周年を迎え、また超えて(22)事業起こしのきっかけ(2)政治家の志に経営道をみた!
30周年を迎え、また超えて(22)事業起こしのきっかけ(2)政治家の志に経営道をみた!
 N会という経営者の集まりが月1回行われており、都合がつけば必ず出席するようにしている。
コダマの核心
30周年を迎え、また超えて(21)事業起こしのきっかけ(1)マスコミとネットワークづくり
30周年を迎え、また超えて(21)事業起こしのきっかけ(1)マスコミとネットワークづくり
 1987(昭和62)年あたりから「九州倒産情報発表」記者会見担当になった。
コダマの核心
30周年を迎え、また超えて(20)団塊の世代とは(後)
30周年を迎え、また超えて(20)団塊の世代とは(後)
 我が故郷を想い懐かしむことが皆無の人間は、幸せにめぐり合うことはなく、不幸な運命をたどって人生を終える。
コダマの核心
30周年を迎え、また超えて(19)閑話休題(前)団塊の世代とは
30周年を迎え、また超えて(19)閑話休題(前)団塊の世代とは
 1947年生まれの筆者は自力で育ち、成長していったのではない。『団塊の世代』のトップバッターとして快走してきた。47年から49年生まれまでが『団塊の世代』と呼ばれてきた。
コダマの核心
30周年を迎え、また超えて(17)中国の波動をつかむ(前)
30周年を迎え、また超えて(17)中国の波動をつかむ(前)
 1999年5月、上海豪華客船ツアーで上海に行く決意をしたのは「21世紀は中国発展の時代」という時代認識をしていたからである。
コダマの核心
30周年を迎え、また超えて(16) バブル崩壊(後)
30周年を迎え、また超えて(16) バブル崩壊(後)
 1990~91年の福岡においては、東亜住建(福岡市博多区)、西部観光(博多区)など200億円から300億円の負債による倒産が珍しくなかった。
コダマの核心
30周年を迎え、また超えて(15) バブル崩壊(前)
30周年を迎え、また超えて(15) バブル崩壊(前)
 シリーズ(13)で記述した通り、セールス能力が劣っていた社員が『九経エコノス』広告4P分(100万円)を取れた時代であった。
コダマの核心
30周年を迎え、また超えて(14)論評の難しさを痛感
30周年を迎え、また超えて(14)論評の難しさを痛感
 『九経エコノス』を発刊して以降、広範囲な取材で見通しを立てる経済記事を執筆する機会を得るようになった。それによって刺激を受け、大いに燃えた。
コダマの核心
30周年を迎え、また超えて(13)経済雑誌『九経エコノス』発刊へ
30周年を迎え、また超えて(13)経済雑誌『九経エコノス』発刊へ
 前回触れた上海ツアーについて詳しく書いていくと、きりがないので省略する。ただ1点まとめよう。上海港についてである。
コダマの核心
30周年を迎え、また超えて(12)国際化時代の到来
30周年を迎え、また超えて(12)国際化時代の到来
 さぁ、平成の時代に突入した。「新時代がきた!きた!」と騒ぐだけで「何が変わっていくのか?」とさっぱりわからないのが、凡人。
コダマの核心
30周年を迎え、また超えて(11)平成に突入「すべてが変わる」
30周年を迎え、また超えて(11)平成に突入「すべてが変わる」
 思えば福岡市が政令都市になった時(1972年4月)の人口が約90万人、現在では160万人超まで増加した。一方、福岡市の面積はというと、博多湾を埋め立てた分しか増えていない。
コダマの核心
30周年を迎え、また超えて(10)情報クレーム対応
30周年を迎え、また超えて(10)情報クレーム対応
 「情報マンの最高の醍醐味」は、情報の渦中で「ドラマの主人公」になれることである。
コダマの核心
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