2024年11月12日 14:30
30周年祝賀会を迎え、50年(半世紀)にわたり一貫して情報発信業を続行できたのは、ひとえに「福岡・博多の歴史的風土」のおかげである。
2024年11月11日 15:30
今回は11月7日にホテルオークラ福岡で行われた当社の「30周年祝賀会」についてまとめてみる。祝賀会に500人の方に参加のお申し込みをいただき、480人の方々にご参集いただいた。
2024年11月7日 12:00
会社登記は1994年11月10日、資本金7,000万円でスタートした。「おや、1億円ではないの?」と疑問をもたれることでありましょう。それも当然のことだと思います。
2024年11月5日 14:00
事業を起こしたときの家主・舛田社長との思い出をつづろう!知り合ったのは1977年秋のこと。舛田氏と同じ熊本出身の日本ハウス・増村社長からの紹介であった。
2024年11月2日 06:00
1994年1月、東京経済の「新年会議」の席上で、越智オーナーが驚愕の「飛鳥1日貸し切りクルージング」宣言をした。幹部社員たちは当初、「新年の放談かな?」と関心を示さなかった。
2024年11月1日 12:00
池田氏の退社以降、業務はたしかに多忙になった。だが、社内の雰囲気が大きく様変わりし始めた。
2024年10月31日 11:20
1992(平成4)年まで、バブル倒産に追われて多忙な日々を送っていたが、45歳を迎えて「人生の将来像を描くこと」について考えるようになっていた。
2024年10月29日 15:30
N会という経営者の集まりが月1回行われており、都合がつけば必ず出席するようにしている。
2024年10月28日 11:30
1987(昭和62)年あたりから「九州倒産情報発表」記者会見担当になった。
2024年10月24日 11:30
我が故郷を想い懐かしむことが皆無の人間は、幸せにめぐり合うことはなく、不幸な運命をたどって人生を終える。
2024年10月23日 11:30
1947年生まれの筆者は自力で育ち、成長していったのではない。『団塊の世代』のトップバッターとして快走してきた。47年から49年生まれまでが『団塊の世代』と呼ばれてきた。
2024年10月17日 11:30
1999年5月、上海豪華客船ツアーで上海に行く決意をしたのは「21世紀は中国発展の時代」という時代認識をしていたからである。
2024年10月16日 10:30
1990~91年の福岡においては、東亜住建(福岡市博多区)、西部観光(博多区)など200億円から300億円の負債による倒産が珍しくなかった。
2024年10月15日 11:30
シリーズ(13)で記述した通り、セールス能力が劣っていた社員が『九経エコノス』広告4P分(100万円)を取れた時代であった。
2024年10月10日 16:50
『九経エコノス』を発刊して以降、広範囲な取材で見通しを立てる経済記事を執筆する機会を得るようになった。それによって刺激を受け、大いに燃えた。
2024年10月9日 15:00
前回触れた上海ツアーについて詳しく書いていくと、きりがないので省略する。ただ1点まとめよう。上海港についてである。
2024年10月8日 15:30
さぁ、平成の時代に突入した。「新時代がきた!きた!」と騒ぐだけで「何が変わっていくのか?」とさっぱりわからないのが、凡人。
2024年10月7日 16:00
思えば福岡市が政令都市になった時(1972年4月)の人口が約90万人、現在では160万人超まで増加した。一方、福岡市の面積はというと、博多湾を埋め立てた分しか増えていない。
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