コミュニティの自律経営 広太郎さんとジェットコースター人生

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【連載】コミュニティの自律経営 広太郎さんとジェットコースター人生(5)
【連載】コミュニティの自律経営 広太郎さんとジェットコースター人生(5)
 住宅用地26.8㏊を市住宅供給公社に24.4㏊、住宅・都市整備公団に2.4㏊売却することを決め、昭和62年(1987)6月議会に埋め立て地の処分議案を提出した。
政治・社会
【連載】コミュニティの自律経営 広太郎さんとジェットコースター人生(4)
【連載】コミュニティの自律経営 広太郎さんとジェットコースター人生(4)
 昭和61年(1986)4月、港湾局舎は博多区石城町に在り、6年ぶりの天神本庁舎復帰とはならなかった。当時港湾局は、西部と東部の埋め立て事業など、ビッグプロジェクトを抱えていた。
政治・社会
【連載】コミュニティの自律経営 広太郎さんとジェットコースター人生(3)
【連載】コミュニティの自律経営 広太郎さんとジェットコースター人生(3)
 昭和56年(1981)春の人事異動で、高卒ながら41歳で課長級に昇任した柴田さんから指名いただき、都市開発局姪浜開発担当となった。
政治・社会
【連載】コミュニティの自律経営 広太郎さんとジェットコースター人生(2)
【連載】コミュニティの自律経営 広太郎さんとジェットコースター人生(2)
 僕の職業人生を口の悪い友人が「ジェットコースター人生ですね」という。しかも、「ジェットコースターは下りが面白いらしい……」と宣(のたま)う。
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【連載】コミュニティの自律経営 広太郎さんとジェットコースター人生(1)~はじめに
【連載】コミュニティの自律経営 広太郎さんとジェットコースター人生(1)~はじめに
 「コミュニティの自律経営」とは山崎広太郎市政が行政が目指すべき姿として掲げた目標である。そして今、僕は生まれ育ったまちの町内会長を人生の集大成と見定め、林住期の今を生きている。
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