2024年4月19日 18:00
「石井社長、変な文書が回ってきましたがもうご覧になりましたか」 石井一博を関連会社部係長の前田幸作が訪ねてきたのはある週末の昼下がりのことだった。
2024年4月17日 18:00
「では、当社は常に売れないものを仕入れてその処理に無駄骨を折っているということなの?」 長谷は驚いたような顔をした。
2024年4月15日 18:00
月例の幹部研修会を終えた石井一博は食堂で経営企画担当の若手役員、久保英二と自販機のカップコーヒーを前に長テーブルを挟んで話し込んでいた。
2024年4月14日 06:00
井坂は改めて石井を見た。井坂に届くこの男の評判は、面白くないものばかりだった。勝手な言動と新生朱雀屋に批判的、というのがそのほとんどを占めている。
2024年4月12日 18:00
実は石井は数年前、似たようなことを体験していた。突然、牧下の依頼で西総銀から朱雀屋の経理課長に出向していた磐田馨という男を顧問として受け入れたことがあった。
2024年4月10日 18:00
特別幹部研修会と称する会議が突然召集されたのは武藤芳人がM県事業に出向して半年後のことだった。その日、朱雀屋の研修センターに関連会社の幹部を始め、朱雀屋の役員、部長が集められた。
2024年4月9日 18:00
「石井社長、坂倉は大変なことをしていますよ」 武藤芳人から石井一博に電話が入ったのはその赴任から半月後のことだった。 「何もかもでたらめです...
2024年4月8日 18:00
「なぜですか? そんなバカなことがありますか。私は仮にも担当部長ですよ。いくら特命といっても収支を隠すということなど許されませんよ」
2024年4月7日 06:00
井坂太一と石井一博の出会いは井坂が朱雀屋にきて間もなくのことだった。当時、石井は西日本総合銀行のすぐ近くにある朱雀屋の旗艦店舗の店長をしていた。
2024年4月6日 06:00
「調査の結果M県がベストです。M県に集中出店します」 坂倉が分厚い資料とそこから抜粋した提案書を朱雀屋グループの戦略会議に提案したのはベーカリーが頓挫した直後のことだった。
2024年4月5日 18:20
「富田さん、パンの基本は技術に裏打ちされた品質じゃないんですか。それに店の外観パースですけど、チーピー過ぎますね。コストが低いのはいいけどパンはある部分でファッションですよ...
2024年4月4日 18:00
「社長、ご安心ください。私が台湾の分は取り返します」 朱雀ベーカリー専務の富田和夫が社長室を訪ねたのは台湾の不快な出来事が報告されて三カ月が過ぎたころだった。
2024年4月1日 18:40
「社長まずいことが起きました」 風邪で体調がすぐれない井坂のもとに、財務・経理部長の太田が暗い顔でやってきたのは年明け早々のことだった。風邪の原因は年末の中国旅行だった。
2024年3月31日 06:00
その後、営業本部の通路横の一角に衝立で仕切られた小さなコーナーを与えられた坂倉は、そのパーティションの外側に奇妙なポスターを張った。