2024年3月30日 06:00
「社長、坂倉先生にお出でいただきました」 経営企画部の武本紘一が1人の男をともなって社長応接室を訪れたのは八月下旬のある暑い日だった。
2024年3月29日 18:00
そんななかでも、朱雀剛三はいたって元気だった。業績の悪化は経営の中枢から外れた朱雀にとって、むしろエネルギーになったのかもしれなかった。
2024年3月28日 18:00
時代、組織を問わず現状を否定するということは既存権力を否定することと同義である。しかし、なぜか役員たちはあからさまにそれに反論しなかった。その理由は指摘がほぼ的を射ていたからだった。
2024年3月27日 18:00
井坂が社長になると役員のダイヤルイン回線はすべて交換経由秘書室というかたちに改められた。いつどんな人間が役員に連絡してきたかが秘書室通しで記録され、井坂や犬飼に報告される。
2024年3月26日 18:40
「一体何があったんですか?」 軽いノックとともに入ってきた場違いな明るい声に一茂は思わず顔を上げた。そこには石井一博の笑顔があった。
2024年3月25日 18:00
井坂が社長に就任して2期目の半ばを過ぎたがその意に反して、朱雀屋の業績は相変わらず悪化を重ねていた。前社長の稲川広太郎は井坂が社長になるとその後半年間、会長を務めた後、体調不良を理由に朱雀屋を離れた。
2024年3月24日 06:00
銀行からの出向組には3種類の人間がいた。井坂や犬飼のように退路を絶った人間、津上のように朱雀屋のリスタートのために一時的に派遣された人間、そしてもう1つはどちらにも属さない人間であった。
2024年3月23日 06:00
『1人がつくった会社から1万人がつくる会社へ、1000店舗・1兆円』 5月の株主総会を経て、井坂の社長就任は華々しいスローガンで社の内外に披露され、新生朱雀屋がスタートした。
2024年3月22日 18:00
井坂には社長就任しても、しばらくは役付き役員のメンバーを変える気はなかった。井坂から見れば、人心一新の新は心だけ十分だった。
2024年3月20日 06:00
5月の株主総会を経て、稲川社長と井坂副社長が誕生した。地元の老舗料亭『お多福』で幹部社員を集めて開かれた社長就任の祝宴の席で、会長になった朱雀は上機嫌を装った。
2024年3月19日 18:00
朱雀屋の本部には商品部やコンピューター、その他の部署で300人余りが働いていた。井坂は時々自分の部屋を出て、ふらりと各部署を訪れた。ゆっくり通路を歩く井坂に社員のだれもが一瞥さえしない。
2024年3月18日 18:00
地響きのような太鼓と読経のなかで全員が正座、低頭している。井坂はそっと腕の時計を見た。午前5時半。真冬の冷気が木枠の硝子戸の隙間から容赦なく忍び込んでくる。
2024年3月18日 17:40
連載を始めて20回になる小説『落日』について、諸方面から好評をいただいているが、同時にさまざまなお問い合わせもいただいている。
2024年3月17日 06:00
より迅速な経営改革のために井坂が考えたのは自分の存在の周知だった。まず、もっともらしい管理ルールをつくり、より速いその浸透を図る。
2024年3月16日 06:00
「時代と環境が大きく変わってもそれに気がつかない人間は多い。とくにここはワンマンとそれに盲目的に追随する風土だ。社員は寄らば大樹に慣れきっているだろうからな・・」
2024年3月15日 18:00
銀行からはまず、犬飼が同行した。支配者としての本格的な実務が始まるのはしばらく先のことである。新たな組織構築のために銀行から複数の人間を呼ぶのはそれからでよかった。
2024年3月14日 18:00
「今度、顧問としてお出でいただく井坂さんです。私から無理にお願いして西日本総合銀行の取締役からお出でいただきました...
2024年3月13日 18:00
「結局、朱雀屋だ。君にも一緒に来てもらうよ」 頭取室から戻ると、井坂は犬飼を呼び、その意向を聞くこともなく朱雀屋行きを告げた。
2024年3月12日 18:00
「抜本的な手を打たないと遠からず朱雀屋はダメになります。すべてトップにおんぶに抱っこです。組織が機能していません」 井坂は2人から聞いた話を基に朱雀屋の状態を杉本に報告した。